期待

  • 2013/10/30(水) 15:20:26

おとり越し参りもいよいよ終わり。

少しずつ寒さが増してまいります。


ようこそうちのお寺に来て下さいました。

ありがとうございます、ありがとうございますと

合掌して深々と私に頭を垂れる御門徒さんに

またお会いした。


海徳寺に入寺してはや八年‥。


これはいわば期待の表れ。

御門徒さんの願い。




私は跡継ぎとしてこの寺に迎えられた身であるが、

多くの寺の長男はこの期待を幼い頃から背負わされる。


これが嫌でお寺を拒否した人の話も

またよく聞く話だが‥。





このような期待を心底喜べるようになったのは

はたしていつごろからであろうか。


大学時代、自分の将来について考え始めたとき、

私にかけられた期待はいったいどんなものか考えた。

そのころは、そもそも私が期待されているのかどうか

自信が持てなかったし、期待してくれている人を探すのも

大変な状況だった。


そんな時、やはり思い浮かんだのが両親や兄弟、

祖父母であった。


期待して京都に送り出してくれたことを嬉しくも思えたし、

また、それに応えていくことにやりがいも感じることができた。

私は比較的スムーズに期待をパワーに変えることができた。



人間は期待されることによって、

存在する価値を与えられ、そして育てられる。

当時の私にとってそれは救いであった。


いま私はこう思う。

期待はむしろ大歓迎。

全く期待されなかったら

生きてはいけません。

心が変わると言葉も変わる

  • 2013/09/11(水) 11:27:29

敬老の日を迎えるにあたり

気をつけること。


「いつまでもお元気で」


この言葉だけは言わんとこ。




手を振って

にっこり微笑み返してくれるだろうけど、

心の中でどう思われるだろうか。


わかってるんです。

決してそうはいかないことくらい。

お互いに‥。


一見励ましのようにも思える

冷たい慰めの言葉。




われにまかせよ

そのままこいよ

そういってくれたお方はただ一人。

あみださまでした。


私がどのようになろうとも

とどいてくださるお救いが

やはり一番ありがたい。

夏の終わり

  • 2013/09/06(金) 16:27:53

夕暮れになくツクツクボウシの声に

秋の訪れを感じます。


この声に小学生の頃をふと思い出しました。


小学生の頃の記憶ってほとんどないんですが、

この時期になってもまだ蝉取りに夢中だったことは

未だに覚えてます。


あれからかなり時間が経って

私は大人になったけど、、

はたして何が変わったというのだろうか‥。




それにしても最近の子どもは

蝉取りをしませんね。


この子たちが大人になったとき、

この時期の蝉の声に

はたして、なにを感じるのだろう。

ズレ

  • 2013/02/19(火) 19:59:39

三歳になる息子が、夕食の時に

「お父さんは線路の踏み切りでうまれたっちゃろ」

と不可解なことをいいだした。


家中が‥???




しばらく考えたら思い出した。



ちょっと前に大分の実家に帰ったとき、

近所を散歩‥。


息子が電車を見たいというので、

徒歩3分の距離にある踏み切りで電車を待ちました。

二人で座って待っているときに、

言いました確かに‥。


「お父さんはこの辺でうまれたとよ‥。」





息子よ、父さんは踏み切りでうまれたわけじゃありません。

大人と子供は目線がかなりずれてると痛感した一日。


お説教も説く側と

聞く側がこのようにズレてないとよいが‥。 



親はしゃがみ込んで子供に話しかける。

アミダさまもそうである。

花嫁の手紙

  • 2013/02/10(日) 21:27:29

従妹の結婚式に出席をしました。

その披露宴会場での一コマ。


読み上げられたのは、

一通の手紙。


読み手は、本人ではなく司会の方でした。



おとうさん、ありがとう。

おかあさん、ありがとう。


両親や家族に向けて放たれる言葉に、

披露宴会場が静まりかえる。


家族一人一人を名指ししながら、

思い出と感謝と敬意を述べていくのが

とても印象的でした。




「喚」(ヨバウ)という字の意味は、

喚び続けるという意味ともう一つ、

その人のことを名指しして喚ぶ

という意味があると聞いたことがあります。


人は私のことだと思うと少しドキッとします。

アミダさまのお救いが私の為にあったと聞くと

これまたドキッとします、そしてじわっときます。