法語覚え書き

  • 2011/01/28(金) 10:02:54

信なき長寿は

苦悩の延長である。

コピー

  • 2011/01/25(火) 09:42:03

今でも結構そうなんだが

先輩のお説教をコピーして

お話しさせてもらうことがある。


完全コピーでなくても

部分的に引用したりするのだ。


意図的にそうしている場合と

無意識的にそうなっていることがある。


ありがたいお説教をきいたときは

そのお心をみんなにお伝えしたいと

純粋に思うもの。

(もちろん先輩の意にかなうよう細心の注意を払うが…)



またそうすることで

さらに味わいが広がっていくのが

御信心の世界だろう。


まさに話すことは聞くことである。



このことは、

私がその説教のまねをしたのではなくて

先生の説教が素晴らしすぎて

私の口から出てきてくださったのだと

思うことにしている。

信心の表白

  • 2011/01/17(月) 22:02:18

連研のスタッフ会議に行ってきた。

次の話し合い法座のテーマは、

「自由に思い通りに生きることは本当に幸せなのか」




その会議の中であるスタッフさんが、

  もしも自分が死ぬときがわかっていれば

  その日を住職に頼んで

  臨終説法の予約をしておきたい

とつぶやかれた。



それは住職に対する深い信頼であり、

このご法義によって死んでいくという

強い決心のようにも聞こえた。

おもわず心の中で念仏した。




自分に顧みてみると、

はたしてここまで

腹が据わっていただろうか。


勉強を山のようにしているわけでもなく

寺の子に生まれて、

当然のように僧侶になって

もっともらしく仏さまの話をしている私に

そこまでの覚悟ははたしてあるのか。




わからない。





わからないけど、

思うんです。




仏さまのお慈悲を聞いて、

自然と流れ落ちる涙や感動。

有り難いことですと納得し、

心にじわっと起こるあたたかさ。


さらには、これによって死んでいけると

阿弥陀さまにすべてをおまかせして

お浄土へ参っていった沢山の先輩方。



そのこと自体が

阿弥陀さまのお育て

おはたらき。

お手回し。




こころにズバズバ入ってきます。


上手く説明はできないけれども、、、

すごい教えだと思う。



この教えを聞いていこうと思う。

だってじいちゃんとばあちゃんと

同じところに行きたいから。



すべての宗教を十分に学んだ上で

これが一番という訳ではないけれども

浄土真宗で本当によかった。

浄土真宗で今私はしあわせです。

年が明けて今

  • 2011/01/13(木) 09:50:21

法務も思ったよりすくなく、

比較的ゆっくりとしています。


少しだけ実家に帰っていたこともあり、

もう遅くなった年賀状の返信を

寒中見舞いに変えて

現在したためているところ。


年明け寒い日が続きます。

年末買い物をしすぎて、

懐具合も少し寂しい年明けとなりました。



寒くとも たもとにいれよ 西の風

弥陀の国より 吹くとおもえば