ああ弘誓の強縁…

  • 2011/03/18(金) 09:14:54

しばらく布教にでてました。

体調も悪くてなかなか思うように話ができず

反省ばかりです。


特に東北地方の大地震が起こって

気持ちもどこか上の空。


救いを説くということについて

改めて考えさせられる毎日です。




いよいよお彼岸です。

全国各地で御法座が開かれます。


沢山の布教使さんたちが

阿弥陀様のお救いを聞かせてくださいます。


テレビやラジオでニュースを聞く度に

今年もこうしてご縁に遇えていることが

どれだけ有り難いことか思いしらされる。

見られてる…

  • 2011/03/01(火) 00:26:04

御法座でお取り次ぎをしているときに

じっと私を見つめているお同行がいる。

瞬きもせずに必死になって聞いている。


まさに後生の一大事、

一言も聞き漏らしてなるものかと

固唾をのんで聞いている。


そんなお方に最近であった。





昔、布教の勉強をしていたとき

布教使は段々小さくなって

阿弥陀さまが段々大きくなるような

説教をしなさいと習った。


阿弥陀さまが自然と輝いて

話している布教使の存在が消えていく。

それがきっと本当のお取り次ぎなんだろう。



それが確かなことなら

つまり私の布教は失敗だったことになる。



しかし愚かなるかな…、

私のような自信のない男は

こういう人に出遇ったら、

励まされるんです。


私の話を聞いてもらったと

満足し感謝してしまう自分がいるんです。


それがいいのか悪いのか。

自分の考えとしてはまだ微妙。




弥陀に誘引するにしても

まず自分に視線を引きつけねばならないのは

致し方のないところ。


私のような若造がいきなり阿弥陀さまの話をしても

すぐに阿弥陀さまの方を向いてもらえるほど

いまの現場は甘くないのではないか。


まず、自分の話をなるほどと聴衆に納得させてから

じわりと弥陀に運んでいく。

そういう丁寧さが場合によっては必要な気がする。


あくまでも場合によってはですが…。




若い布教使って、

まずこいつはちゃんとした坊さんなんだという

一定の信頼感を勝ち取らないとなんにも話が通じない。


まずは自分の方を向いてもらって

それから阿弥陀さまの方をいかに向いてもらうか。


そう順序立てて考えることで、

少しずつお取り次ぎができるような気がする。


まぁこの考え方自体、

新米布教使という人間側の

浅はかな知恵ですが…。




でも、徹底して弥陀を説けと言われた

師の教えは今も肝に銘じています。