いのちとは

  • 2011/08/31(水) 12:31:18

法話で「いのち」という言葉をよく聞くけど

「いのち」ってなんなのか漠然としてはっきりしない。


「いのち」についてはっきりとわかることは、

生まれてきたということ。

そして必ず死ぬということ。


どちらも自分の思い通りになるものではない。


どうやら「いのち」とは

自分の持ち物ではないらしい。


大きな何ものかによって

生かされている、恵まれているものと

捉えるほうがなんだか的確な気がする。



他の生き物のいのちによってという

目に見えたり想像できたりする範疇の

直接的な恵みだけではなく、

得体の知れない大きなおはたらきの中に

この身があると感じることがある。


このはたらきを阿弥陀さまと聞くのが

浄土真宗の世界かもしれない。

もったいない

  • 2011/08/26(金) 11:29:35

ネタにしたいようなご法義話を思いつくんだが

車中にて書き留めることも出来ず

いつの間にやら失念。


こういったことが何度もあった。

もったいない、もったいない。

お盆参り

  • 2011/08/12(金) 10:58:51

お盆参り真っ最中。


今日お参りしたお宅、

中学生のお子さんが

ものすごい成長を遂げていた。


背も高くなったし、

声も変わっていたし、

なんといっても風貌が大人びてきた。

両親の背丈をもう少しで追い越すのだそう。


それについて自分も十分に自覚していて、

今は親に追いついてうれしさいっぱいな感じ。




きっともう少したって、

親の背中がいつの間にか

小さくなっていることに気づくだろう。


子供を大きく育て上げるために

親は縮んでいくのかもしれない。

子供の成長は親の苦労そのもの。

ラーメン屋から思うこと

  • 2011/08/09(火) 10:24:06

初めて行くラーメン屋では

とりあえずその店が

一番自信ありげにしているメニューを注文する。

それは私が決めている礼儀。


スープは醤油とか味噌とか何種類もある時点で

その店はもうアウト。


多少のアレンジは受け付けるが、

基本的には一本のスープで勝負してほしい。


最近のラーメン屋は

自由にトッピングできるように

テーブルの上に色々おいてあることが多いけど

あれにはあまり手を付けない。


味が根本から変わってしまって

もう別物になってしまうことも多々ある。


ラーメン屋が用意してるトッピングなんだけど

トッピングなんかいらないくらいの一品を

ぜひ最初から提供していただきたいもの。


トッピングに惑わされず、

その店が出すそのままを味わいたい。





阿弥陀さまのお話も聞きなれてくると

あれこれと思いのままに

自分流の勝手な解釈をしてしまいがち。


お話の一部分だけを切りとって

自分勝手に内容を思い変えていくことで

そのお話のお心から離れてしまったりする。


ひどいのになると、

自分の人生を立派にするためだとか

知識として持ち帰り人をやっつける道具にしたり

聞く目的までもがすり替わっていく。


自分の意見を支えるのに都合のよい言葉だけを切り取り、

お聖教のお言葉の本来の意味を踏み外す人だっている。


聴聞は自分流にアレンジして聞くのではなくて

阿弥陀のお話は阿弥陀さまのお話として

そのまま聞くべし。


こぼさぬように。

のこさぬように。

懺悔

  • 2011/08/05(金) 13:42:01

実家のお寺のサマーキャンプ。

子供会のお手伝いに行ってきました。


二日間で法話を二席。

思うように話が出来なくて

まだまだだなぁと思いながら帰ってきました。




近頃、いろんな場所で身に余る言葉掛けを

いただくことがある。


もう失敗は許されないことを強く感じる。

なんかとんでもないことになってきたなぁ。


失敗を聞いてくださる仏さまの前に

今朝、少しだけ長く座りました。