気がかりなこと

  • 2008/12/18(木) 23:56:31

最近パソコンの調子が悪い。

DVDマルチレコーダーが故障して

早2年。


パソコン自体は異常がなかったので

頑張って使っているけど。


ここんとこ突然電源が落ちたり、

たまに画面に線が入ったりしている。




う〜ん、買い換えようか。

未だ決断できないでいる。


もしデーターが飛んだら怖いので

早めに買い換えようと思ってるんだけど

予算の都合で我慢している。



更新が長いこと滞ったら、

それは遂にPCの寿命が来たと

お思いください。

近所の海にて

  • 2008/12/17(水) 16:39:53

だいぶ子供らしくなってきました。

言葉も出はじめました。


  

  

  

  

  

環境問題

  • 2008/12/14(日) 22:35:08

以前、環境問題で法話を書いたという話しをしたところ、

ぜひ読ませてほしいとのお声を頂戴しておりました。


始めはそう仰ってくれたお方だけ、

それが載った雑誌をお送りしようと思っていたのですが、

諸事情によりこの場に記載いたします。


今読み返すと

もう少し推敲が必要な気がしますが、

とりあえず…



(以下 法話)




私達は、高いビルが立ちならんだ風景を人工的といい、

田舎の森や川を自然だといって、

すぐよいものだと考えてしまいがちです。


しかし、暮らしにより便利なように

手を加えるという点だけつきつめて考えれば、

川の流れを変えて水田を整備し開墾することと、

エアコンのきいた部屋でパソコンを使って買い物をすることとは

基本的に同じことであるのかもしれません。


人間が生きていくということは、

もともとの自然環境を何らかの形に人工的に変化させ、

適応させ、言葉を変えれば破壊せざるを得ないのかもしれません。

人間はそういう本性を持っているような気がします。


「より便利で快適に生きたい」という欲望に身をまかせ、

次から次へと消費や破壊を繰り返す人間の姿を

仏教は問題にしているのです。





私が小学生の頃、

ふとしたことで足を引っかけて

夕食用に炊くはずだったお釜に入ったお米を

こぼしてしまったことがありました。


ほうきを持って掃こうとしている私に祖父が駆け寄り、

一緒にひろおうと言いました。


私が渋々お米をひろい始めると、

祖父は一緒になってお米を一粒一粒ひろってくれました。



その時、私に向かって

「ブッポウリョウ、ブッポウリョウ」と言いました。


「それ何?どういう事?」と尋ねると、

祖父は「仏さまのものっちゅうこと、南無阿弥陀仏」と答えました。


私はその言葉を忘れることができません。




「仏法領」とは本願寺第八代蓮如上人が仰ってくださったお言葉です。

床に落ちた紙切れ一枚も仏さまからの賜り物と受けとっていかれたのです。




人間が消費するあらゆるものを「仏法領のもの」と

お聞かせいただいたのならば、

電気のスイッチを押すときも、ゴミを出すときも、食べ残した魚の骨にも、

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と

お念仏がこぼれる生活を

させていただけるのではないでしょうか。


お恥ずかしい、

もったいない、

かたじけない。


これほどのものを頂いて、

今日もまた尊い一日を過ごさせていただきます。

ありがとうございますという心持ちで称える念仏は、

報恩感謝のお念仏です。


阿弥陀さまとご一緒の生活の中に

このような世界がひらかれるのであれば、

むやみやたらに大量消費を繰り返すだけの暮らしは

ちょっと変わってくるのかもしれません。

よびかけ

  • 2008/12/13(土) 12:07:07

娘はちょうど今、

喋るか喋らないかの瀬戸際。


じいちゃんもばあちゃんも

「じいじだよ」「ばぁばだよ」と

毎日のようによびかけます。


若坊守も

「わたしがお母さんだよ」と

事ある事によびかけます。


みんな最初に

よんでもらおうと必死です。






どんなに賢い赤ちゃんでも

最初から親の名をよべる

あかちゃんはいません。


どうして子供が親の名をよべるのか、

それは喚び通しに喚び続けてくださった

親がいたからです。


仏さまは

我が名を喚んでおくれよと

喚び通しに喚び続け。




師走ですなぁ

  • 2008/12/08(月) 13:00:54

こねてつき

こねられてつき

踊る餅